総てを癒すもの

第4章 「力演」(3)

作者:ゆんぞ 
更新:2004-11-16

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戦ではないため、レイドヴィックを含む数名だけを掌に乗せての出発となった。

街を出て丘をひとつ越えると平原が広がっており、街道と付近の村々を一望することが出来る。木々や作物の緑が規則的に並んでおり、平原のかなりの部分が開墾されているようだ。
「現在の国境は、あの柵になる。二年前の戦で破れ、あの場所から後退したものだ」
不意にレイドヴィックが前方の二か所を指して言う。エリザもその方向を見てみるが、国境を思わせるようなものは何も見当たらない。畑の所有者か、せいぜい村の境界を主張する程度の簡素な柵が幾つかあるだけだ。
「え、えっと。どの柵、でしょうか?」
やや間を置いて、おずおずとたずねる。
「ん? あー……」
面倒そうに答えようとするレイドヴィックだが 言葉での説明に窮してしまった。見るに見かねてか、兵の一人が助け舟を出す。
「街道を跨ぐ、三番目の柵です」
「う、うむ。四番目の柵から後退してしまったのだ。父上の代には、更に敵側だったのだが……」
それを受け、補足にもならないことを呟くレイドヴィック。二つの柵の間には集落がひとつあり、その横にある集落も含めて隣国に渡ってしまったのだという。
「じゃあ、この土地を巡って戦が起こっているということなんですね?」
エリザは確認のために尋ね、改めて広大な農地を見渡す。異変に気づいたのか、既に多くの人が家から出て来ており、また農作業の手を休めている者も多い。
「あ、すみません。挨拶したいと思いますので、耳を塞いで頂けますか?」
掌に視線を移し、注意を促す。さらりと言った内容は掌上の男達にとって一見関連性が無いように思えたが、彼らはすぐにその意味を知ることとなる。

簡単な自己紹介と敵意の無い旨を知らせる挨拶が、平原に響き渡った。


国を隔てるはずの柵は間近から見ても本当に簡素な作りで、高さもエリザの爪先くらいしかない。その脇に立っている小屋が無ければ――いや、あったところで誰も国境とは思わないだろう。

小屋の前で待ち構えていたのは、鎧の上にサーコート(戦套)を羽織った男たち。赤二人に緑四人、どうやって小屋に入っていたのだろうかという数だ。そのうちの一人、緑のサーコートに派手な紋様を縫い付けた上官らしき男が、エリザを見上げていきなり怒鳴った。
「貴様ら、一体これはどういうことだ?!」
いきなりのことにエリザも驚き、ついびくっと震えてしまう。その振動に右掌上の兵達が翻弄されるのを見て、慌てて彼女は左手を沿える。一瞥した限りでは落ちたり怪我をしたりした者は居ないようだ。
「人を乗せているんです。いきなり怒鳴らないで下さい」
エリザは眼下の騎士を睨んで言う。その語気に押されて緑の騎士は言葉を詰まらせ もごもごと言葉にならない音を吐くが、彼の怒りが収まった様子は無く、逆に顔は紅潮しているようにさえ見える。荒い呼吸を二三度おいて、彼は再び大声でまくし立てた。
「これが怒鳴らずに居れるか! そこに居るのだろうレイドヴィック、女の陰に隠れるとはこの卑怯者め。釈明の機会だけは与えてやる、すぐに出てこい!」
掌に視線を落とすと、赤の騎士もまた自分を見上げていた。あごをしゃくって『降ろせ』と合図している。

エリザは頷き、ゆっくりしゃがんで掌を地面まで降ろす。着地を待ちかねたかのように飛び降りたレイドヴィックは、即座に緑の騎士へと詰め寄る。
「卑怯者とは随分な言い草だな、オーヴェンドラット。貴様こそ何故ここに居るのだ? おおかた我々が来る前に領地を掠め取ろうという魂胆なのだろう」
上から見守っていたエリザも、この成り行きには少し驚いていた。いきなり詰め寄ったレイドヴィックもそうだが、彼の台詞から察するに、オーヴェンドラットと呼ばれた緑の騎士は向こう側の領主か それに近い人物らしい。

「はっ! 貴様こそ、巨人を唆して領を奪う気だろうが。この卑怯者!」
「卑怯? 傭兵頼みの貴様が言う台詞か!」
二人の口論は更に熱を帯び、しかも内容が逸れて来ている。しまいには五十年前に得た開拓の許可まで及ぶが、そこでも両者は共にラファイセット王国から許可を得たと主張し、もはや水掛け論の様相を呈している。

その一方で、冷静に口論を上から眺めているエリザは、双方の言い分が共に正しいように思い始めていた。五十年前の話が未だに拗れている理由は、ラファイセットが開墾に関する密約を二重に結んだからではないだろうか。仮説の真偽はともかくとして、王国を挟んだ会談が必要なのは確かだろう。

しかし、彼女がそう思っているからといって下の舌戦が収まる訳でもなく、むしろ放置することで状況は悪化していた。
「もう我慢ならん。兵を集めるのも面倒だ、ここで決闘しろ!」
この台詞を聞いて初めて、エリザは自分の迂闊さに気づいた。
「ちょ、ちょっと……やめて下さい!」
慌てて彼女は二人の間に右掌を差し込む。いきなり彼等の背より高い壁が出現する様に騎士達も怯むが、直ぐに壁の主に向き直る。
「貴様、邪魔立てする気か!」
「決闘の邪魔をするなら、たとえ女であっても容赦はせぬぞ」
殆ど同時に、二人は強い語調でまくし立てる。
「容赦しないって……」
(どうするつもりなんですか)
思わず呟きそうになり、エリザは台詞の後半と呆れ顔をどうにか押さえ込んだ。自身の巨躯や それに対する恐怖に日々悩んでいる彼女にとって、彼等の言動は新鮮ですらある。無闇に脅えられるのと比べて、どちらが良いのだろうか――そんなことを一瞬だけ考えてしまったが、まずは説得を試みる。
「あのですね。そもそも私は、戦を止めるために此処まで来たんですよ」
取り敢えずは矛を収め、大元の原因である契約についてラファイセットを挟んで三者で会談してはどうか。エリザはそう提案してみるものの、オーヴェンドラットは即座に一蹴する。曰く、他人を頼るのは無能の証と。
「我が領地を真に我が物にするため、父も私もこれまで戦って来た。これからもそうだ。そこの卑怯者がどう思っているかは判らんがな」
「面白い、ならばやはり決闘しかなかろう。だが傭兵頼みの貴様はそれで良いのか?」

壁越しでさえ挑発の応酬を止めない二人を見るにつけ、エリザは説得など無意味ではないかと思い始めていた。これだけ話が通じない連中だから領土問題は長い間こじれ、彼女は自分を待つ多くの人を見捨てて戦の平定などに来ているのだ。にも関わらず、原因となる二人は卑怯だ何だと怒鳴りあっている。そう考えると怒りさえ込み上げてくるのだが、そんな気も知らない緑の騎士は彼女の掌を蹴り始め、赤の騎士は抜き身の剣を突き上げて今度は彼女の方に向かって何か怒鳴っている。

エリザの我慢も、そろそろ限界が近づいていた。
「もう、いい加減にして下さい」
ゆっくりした口調でエリザは言い放つ。そしてレイドヴィックの方を睨んで畳み掛ける。
「貴方は結局、私に何をさせたいんですか。戦が近いから、それを止めるために私を呼んだ。貴方は確かにそう言いましたよね?」
「うっ、うむ……」
出発前にそう問われて首を縦に振ったのだから、レイドヴィックに反駁の余地は無い。だが宿敵はその逡巡を見逃さず、いきなり大声で笑い出す。
「なっ、何がおかしい!?」
レイドヴィックが怒鳴って問いただすも嘲笑は止まない。一息つくまで笑って、ようやくオーヴェンドラットは答えた。
「とうとう認めたか。女の力に頼るなど、貴様も堕ちたものよなぁ」
「きっ、貴様……」
侮辱に反駁しようとするレイドヴィックだが、何も言い返せずに喉の奥で言葉を詰まらせるのみだ。
「どうした。何も言い返せんのか、臆病者?」
味を占めた緑の騎士は更に畳み掛けるが、反論は意外なところから降って来た。

「貴方は黙ってください」
抑揚のない声でエリザは言い切る。命令するような口調に対してオーヴェンドラットは驚きと怒りの視線を向けるが、大きさの差もあってエリザは平然としたまま台詞を続ける。
「そうやって煽るから問題がややこしくなるんです。どうして人を煽るようなことばかり言うんですか」
「煽ってなどおらぬ! 奴が主を頼ったことは事実であろう」
「事実だからどうだって言うんですか。戦を止めたいということだったから、私は協力したんです」
「なぜ止める? 白黒つけるなというのか。何の権限があってそんなことを言う?」
「白黒つけるなとは言ってません。戦じゃなくて会議なり何なりで付ければどうかと言っているんです」
予想以上の頑迷な態度に、エリザの口調も熱を帯びてくる。普通ならこの大きさで強い語調なら怯みそうなものだが、頭に血が上っているせいもあってかオーヴェンドラットにその様子はない。
「くだらん!」
きっぱりと言い、そして捲し立てる。
「騎士として誰ぞに泣き付くことなど出来るわけなかろう。自分が正しいと思うなら闘って力で示せ。それが我々、騎士のやり方だ!」

一通り怒鳴り終えたところで、不意に沈黙が場を支配する。奥歯を軽く噛みながら聞いていたエリザは、やや間をおいてから大きく息を吸い、そして吐きだす。
「だから、戦を起こすと言うんですか」
発せられた彼女の声は一転して低く、ゆっくりしたものだった。それを聞いたオーヴェンドラットは彼女を見上げたまま頷き、余裕に満ちた口調で応える。
「そうだ。もうこれしか方法がない」
そして彼は家壁のような掌を指さし、言葉を加える。
「さあ、その手をどけてくれ。私は決闘を受けねばならん」
しかし、エリザは首を小さく横に振る。
「嫌です」
静かに言い放った拒否の一言。それは、屈服したと思っていたオーヴェンドラットにとって予想外の反応だった。更にエリザは、一語ずつ確認するような口調で尋ねる。
「貴方は、仰いましたよね? 『自分が正しいと思うのなら、闘って力で示せ』と」
その問いに答えるより先にオーヴェンドラットは剣を抜き、腰の高さで水平に構える。
「そうだ。貴様は騎士ではないし、女だから説得を試みたわけだが」
目の前の壁は彼の背丈より高く、構成する指の一本一本も樽ほどの太さがある。とはいえ、元は女の細く弱い指だ。骨の無いところを突撃すれば貫通もできるだろう。助走を付けるため、彼は剣を構えたままじりじりと後ずさりする。

一方のエリザも最後の決断を下そうとしていた。今から言う台詞で後戻りは出来なくなるが、それは承知の上だ。落としどころは、彼らが冷静に判断を下せること。それだけを確認し、やや上ずった声でエリザは宣告した。
「私から 二人に決闘を申し込みます」
言うが早いか彼女は右手をどけ、腰に付けていた手袋を外して二人の上に下ろす。彼女にとってはそれだけのことだが、騎士達にとっては家の屋根より広い巨大な手袋だ。風を孕んでいるだけに衝撃こそ無いが その重みに勝てるはずもなく、彼等はあっさりと倒されてしまった。
「確か、決闘の時は手袋を投げるんですよね?」
家一軒分の布地から這い出すため藻掻いている二人に対し、エリザは平然と言い放った。


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