総てを癒すもの

第4章 「力演」(2)

作者:ゆんぞ 
更新:2004-06-05

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街を出て一刻余、たどり着いた街 アレイオスの壁に立つのは、何とも派手ないで立ちの騎士だった。鎧の上に朱色のサーコート(戦用の外套)を羽織り、高さ一尺近い黄色の羽飾りを兜に付けたその男は、立ち止まったエリザに対して深々と一礼する。
「ようこそお嬢さん、我が街へ」
「え? ……あ、はい。こんにちは」
どうにか返答して頭を下げるが、エリザは騎士の態度に戸惑いを隠せなかった。今まで通った町で最初に応対してくれた人達は、姿勢や言葉の端々に不安とか緊張が見え隠れしていた。その態度も自分の巨躯からすれば仕方ないと受け止めていたし、彼等の立場を尊重しつつ不安を解くのは自分の責務だと思っていた。

翻って今、なぜこの騎士はこんなに堂々としているのだろうか。

彼女が考え事をしているにも関わらず――というより、話し出さないのをいいことに――騎士は一方的に名乗りを上げる。
「我が名はレイドヴィック=ロイエンスター=アレイオス。偉大なる父レオドワードと母ヴィエネトリアの間に生まれ、以後三十年に渡って……」
長い名前だけで聞く気が失せてしまうが、更に彼は自分の親や先祖にわたる血筋に関してあれやこれやとまくし立てる。聞き流すのも面倒になったエリザはやがて身を起こすが、それでも騎士の男は話を止める気配を見せない。遠くから眺める彼女にとってその様子は滑稽で、仰々しい手振りや小ささもあいまって玩具の人形を思い起こさせる。

とりあえずこの男を放置し、自分の考えを先に纏めることとした。テルウォムの兵士や行商人の話によれば、ここが狼煙を出した街であることは間違い無いはずだ。しかし見渡した限りでは、人通りこそ少ないものの攻め込まれた形跡は見当たらない。

とすると、やはり狂言なのだろうか。

エリザが疑いの目を向けると、騎士は何やら憤っているようだった。どうやら話を聞いていなかったことを咎めているらしいが、激しい口調といってもこの小ささだ。既に玩具を想起してしまった彼女にとって威圧感など微塵もない。
(狂言だとしたら、そっちの方が余程腹の立つことなのに)
そんな言葉を思い浮かべつつも口にだけは出さず、代わりに彼女はしゃがんで身を屈め、間近から目前の騎士を見据える。

効果はてきめんだった。家の間口ほどある顔に上から迫られ、しかも不機嫌そうな表情で睨まれては、饒舌な騎士といえども話を途切れさせざるをえない。その隙に、エリザは素早く口を挟む。
「すみません。で、助けの狼煙を出したのはこの街ですね?」
「あ、ああ」
手加減なしの声量に打たれ、騎士には力無く答えるのがやっとだ。何度か問題を起こしてきた大音量や視線の重さも、今回ばかりは良い方に作用している。
「それにしては、特に助けが要るようには見えないのですが……」
さっきより抑えた声でそこまで言って、エリザは台詞を止める。下手に理由を問えば、また聞くのも面倒な演説を食らうと思ったからだ。
「それより、まず治療をしましょう。怪我人はあちらの治療院ですね?」
代わりに彼女は、街の中心部を指さして問う。単純に是非を返す質問なのだが、それでも騎士は対話の主導権を奪いに掛かる。
「ああ、一応中央の治療院に居るが、貴方を呼んだのはそのためでは無い。ご存じの通り、この街はラファイセット公国の東の端に位置しておってな。隣国まで三里ほどしか隔てて居らぬゆえ、『ラファイセットの東の砦』と呼ばれておる。それゆえに……」

もう彼の話を一々遮ることさえ面倒だ。しゃがんでいたエリザは眉間に皺を寄せつつ立ち上がる。
「上を見ないで下さいね」
一方的に言い放ってから彼女は右足を上げ、騎士の乗る街壁ごと跨ぎ越そうとする。

塔か櫓ほどもある長靴が向かって来るのを目の当たりにし、騎士は反射的に屈んで身構える。彼の周囲がまず影になり、次いで低い風切り音と風圧が上から届き、着地の重い音が後ろから響く。更に風切り音と着地音が一回ずつあり、そして再び周囲が明るくなる。

慌てて身を起こし後ろを振り返ると、巨大な治癒術師の後ろ姿がある。巨人は振り返ることすらせず、長い黒髪をなびかせながら街の中心部へと向かっていった。


治療院にいる怪我人も特に多くは無いようで、治療はすぐに終わってしまった。来院できない人は居るかと院の治癒術師に尋ねるが、そのレセティアという名の若い治癒術師は呆気に取られた様子で首を横に振るばかりだ。
「じゃあ、どうして私を呼んだんでしょうか……」
自問とも質問とも取れる呟きが、ついエリザの口から漏れる。
「あれ? 呼ばれたんですか?」
レスティアも興味があるのか、身を乗り出して問う。エリザが首を縦に振ると、彼女は腕を組んで何やら考え始める。
「うーん、これだけの魔力ですからね……」
レスティアは腕組みしたまま、エリザの膝先で円を描くように歩き始める。同じ治癒術師というだけで我事のように考えてくれているのが、エリザにとっては少し嬉しい。

膝先でうろうろするレスティアを暫く見守っていたが、不意に彼女は「あっ!」と叫んで足を止め、首を跳ね上げる。
「もしかして、戦が近いからじゃないですか?」
「えっ、戦……ですか?」
いきなりの怪情報に驚き、問い返すエリザ。それに対してレスティアは少々もどかしそうに説明を加える。曰く、この街は割と頻繁に隣国と領地の取り合いをしており、以前は二年前の収穫後だった。今が農作業の合間であることに加えて兵士たちの訓練がここ最近厳しいことから、戦が近いのではないかと不安を感じていたのだという。
「だからきっと、負傷した兵隊さんの手当をして欲しいんだと思うんですよ」
そこまで聞いて、エリザの首が かくんと落ちる。
「いや、それは違うんじゃないかと……」
手を軽く振りながら、苦笑混じりに突っ込む。

しかしながら、エリザの表情はすぐに固くなった。レスティアの出した結論はともかく、途中の分析は笑い事で済まないからだ。もし本当に戦が近いのなら、敵を蹴散らすために呼んだと考えるのが自然だろう。勿論、そんな恐ろしいことに手を貸せるわけがない。
(とすると、どうにか戦を止めさせて、それから怪我している人がいたら治療して……)
そこまで考えたところで、エリザの表情が少し緩んでしまった。それはまさに、さっきレスティアが言ったことと同じではないか。

膝の前に視線を落とすと、自分を見上げている小さな治癒術師と目があう。彼女の背中をそっと撫で、エリザは言った。
「呼んだ理由がどうあれ、私もあなたと同じようにすると思いますよ」
それを聞いて、レスティアの表情がぱっと明るくなる。エリザもまた微笑みで応じ、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「やっぱり、癒し手ですからね」


西門に戻ると、例の騎士が門の上で腕組みして立っていた。いわゆる仁王立ちだが、威厳を出そうとすればするほど彼女の目には滑稽に映るということに まだ気付いていないようだ。
「えーと、話は聞きました」
騎士が何かしゃべり出す前に、エリザは敢えて大きめの声で話しかけ、そして即座に問う。
「戦が近いから、それを止めるために私を呼んだ。それで構いませんね?」
「いや、待て。それは……」
「『はい』か『いいえ』で答えてください」
弁明を遮り、強い語調で迫る。それでやっと騎士は首を縦に振った。派手な羽飾りが上下に振れる。

エリザは長い溜息でその羽飾りをたなびかせ、なお語調を緩めずに言う。
「まあ、今回は事情が事情ですし、仕方ないと思います。でも、此処へ来るために患者さんを何人も置き去りにしているんですよ」
「う、うむ……すまなかった」
詰め寄られ頭を下げる騎士。エリザはその反応に驚いた様子で目を見開き、そして顔を軽く伏せる。
「あ、いえ。まあ、理解して頂けるのなら、構いません」
意外な反応に戸惑っているのか、口調もかなり弱々しく吃っている。それから二呼吸くらいの間をあけ、エリザは顔を上げて言った。
「戦を止められるなら、それで傷付く人が減るのなら、私も本望ですから」
エリザの真摯な眼差しを受け、騎士は僅かに上体を反らせつつもゆっくりと何度も頷いた。


アレイオスの街から国境までおよそ三里、その向こうにある隣国の街まで七里。一日で攻め入られる距離のため、元から戦の噂には敏感である。しかも今回は、巨人の介入がある前に領地を確定したいという意向まで聞こえているらしい。

緊張が解けたせいか、レイドヴィックの説明も以前ほど仰々しくはない。そのため特に口を挟む事なく聞いていたエリザだが、自分の力が疑心を生んでいるとあってその表情は沈んでいる。自分の大きさを最も疎ましく感じるのはこういう時だ。

しかし、かといって逃げるわけにも行かない。彼女は目を閉じ、さらに念じる。疑心が出てしまったものは仕方が無い、今はそれを収めることを考えよう。戦の前に疑いを解く機会があるだけでも好機だから、これを無駄にしないようにしよう……。

前向きにとらえることで、どうにか気力も戻ってきた。目を開け、レイドヴィックの方に向き直って言う。
「分かりました。それなら尚更、私がなんとかしなければなりませんね」
覚悟さえ宿した目に気圧されたのか、レイドヴィックは頷くだけだった。


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