総てを癒すもの

第3章 「再会」(4)

作者:ゆんぞ 
更新:2003-07-23

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師匠と会うのは一年ぶりだが、元からの高齢もあってか 着ている服装以外に変わったところは無さそうだ。再び南広場に来て座っているエリザは、自分の膝の前にいる老人を見ながらそう思っていた。

使節の他の者達は庁舎の中から見守っているだけだったが、この老人だけは彼女の全身を見渡そうと首ごと視線を上下に動かしている。何度かの往復の後、彼は本当に驚いたような口調で言った。
「うむ。暫く見ないうちに随分大きくなったのお」
その台詞に、エリザは思わず吹き出してしまう。
「いや、ちょっとそれは」
言い返しながら彼女は笑っていた。単に師の反応が面白かったからだけではなく、師匠の自分に接する態度も変わっていないことが嬉しかったからでもある。

大体の経緯は既に知らされているが、それでも実際に術を使っているところを見たい。そうローンハイムが申し出たため、エリザは彼を膝に乗せたまま 集められた病人や怪我人に次々と術を掛けていった。それだけでは飽き足らぬ老師は、治療の合間にも色々と質問を投げかける。
「魔力を絞るのが難しくはないのかの?」
「ええ、だいぶ慣れましたから」
「しかし加減は……傷が治ったことを、どうやって知るのじゃ?」
「えっと、なんとなくですけど、触れていると解るんです」
「それは、大きくなっている時だけかの?」
「ええ、そうだと思います」
そこで矢継早の質問が一時途絶える。どうしたんだろうと思いながらもエリザは治療を続けていたが、ローンハイムはいきなり思い出したように尋ねた。
「そういえば、八十丈(二四〇メートル)程まで大きくなれると聞いたが……」
「ちょ、ちょっと止めて下さいよ。皆さん聞いているんですから」
さっきまでは冷静に答えていたエリザも、いきなりの質問に色めき立ち 声を僅かに荒立てる。だが、もっと驚いたのは彼女の掌の上にいる患者だろう。目をと口を開いたまま固まっている患者にエリザは微笑みかけ、彼の背中を人差し指でそっと撫でる。
「あの、大丈夫ですよ。ここではそんな大きさになんて なりませんから」
言われてほっとしたのか、患者はゆっくり頷き呟く。
「そ、そうか。しかし、八十ってーと……」
「今の四~五倍くらいかのお」
患者の疑問に対してローンハイムが即答する。それを聞きたエリザは、先ほど思っていたより大きそうだと考えていた。今いる南広場に両足を置くことは出来そうにない。片方の足の半分くらいだから、片足で爪先立ち……。

彼女は慌てて頭を振り、その想像を頭から追い払う。そして周囲を見渡してみるが 幸いにも景色に変化はなく、膝の先を見ても大きさが変わった様子は見られない。エリザは安堵のため息を漏らし、そして膝の上の師を睨みつけた。
「大きさのことは言わないで頂けませんか?」
エリザはそう言って注意を促す。しかし思いがけず強くなってしまった語調と視線、ましてやこの大きさだ。ローンハイムは言い返すこともできず、彼女の表情をちらと伺って項垂れ「すまん」と小さく謝る。

その反応はエリザにとって少し意外だった。いつも飄々としている師とは別人のような その小さな老人が可哀想に思えたので、今度は極力柔らかい口調で説明し、尋ねる。
「変に考えてしまうと、その大きさになってしまうことがあるんです。もしかして、聞いていませんでしたか?」
「いや、うむ……」
ローンハイムは彼女を見上げ、首を縦に振る。エリザは「そうでしたか」という呟きと小さなため息を漏らし、師の肩を指で優しく撫でる。
「強く言い過ぎてしまって、申し訳ありません」
エリザは師にそっと謝り、そしておもむろに治療を再開する。しかし、それからローンハイムが彼女に話しかけることはかった。座ったまま動かない小さな老人を見ると どうしても気まずい思いを抱いてしまうが、エリザは自分の職務である治療を続けた。

結局、集められた三十人余りを治療するには小半時も掛からなかった。しかし治療が終わっても、師は動く気配を見せない。話しかけても応じず、肩に触れてそっと揺すって初めて 師は慌てて顔を上げる。彼がなぜ黙っていたのか、その時の惚けた表情で分かった。
「寝てたでしょう?」
師の顔より大きな人差し指で 間近から指さしつつ、エリザは悪戯っぽい笑みを浮かべて問う。
「いやあ、暖かかったからのぉ。つい……」
ローンハイムもまたばつが悪そうに笑い、頭を掻きながら答えた。


ローンハイムの命に従い、エリザは彼とフレイアを掌に乗せて中央広場に移動する。そこで庁舎から出てきたグランゼルや使節団、それにバラム自警団の面々と合流するが、エリザの提案により会談は西門の前で行われることになった。お互い首を痛めないからというのがその理由である。

ただ会談と言っても、その内容は王都や市庁舎の中でほぼ纏まっており、ここでは方針を伝えて可否を聞く程度だ。

エリザの存在を隠すか、それとも彼女の敵意の無いことまで含めて公にするか。王都の卓上では双方の意見が出て お互い譲らないままだったが、他ならぬエリザ自身が山を越えてバラムの街に来てしまった今となっては既に議論の余地は無い。ただバラムの混乱ぶりを考えれば広報は慎重に行う必要がある。まずは主要な街や各公国に書簡を出す線が適切であろうという結論に達した。

災い転じて福となすというのはこういう状況を指すのだろう。そんな複雑な心境で使節団の説明に聞き入っていたエリザだが、説明を任せて黙っていたローンハイムが不意に発した言葉には面食らってしまった。
「どうせじゃから公国に派遣するか、向こうの重鎮を呼んでしまえと言ったんじゃがのぉ」
老師は笑って言う。
「いや、その……いきなりそれは、ちょっと……」
エリザは顔を赤らめながら しどろもどろに返すのがやっとだった。きらびやかな衣装に身を包んだ自分が 城より大きな巨躯を各公国の重鎮達の前に晒している……そんな冗談めいた光景を想像してしまったからである。

王都では従事させるべき仕事についても話し合いが持たれた。存在を公にするか否かの決着さえ付いてない時点では話の纏めようもなかったが、それでも灌漑や橋の整備といった大きな工事をさせようとか、鉱山を山ごと削らせようとか、戦に率いれば大陸に気兼ねすることなく全土を統一できるという意見まで出たという。
「戦は、ちょっと勘弁して欲しいですね。戦を止めるためならまだしも……」
エリザはぼそっと呟く。
「それは、戦を止めるためなら赴く意志ありと見て良いかの?」
「えっ?」
不意にローンハイムから問われ、エリザは目を見開き老師を見据える。彼の表情は冗談を言うそれではない。質問を頭の中で反芻するも、なぜ彼がこんなことを問うのかが解らない。もしかして、全土の統一を唱えたのは彼なのだろうか。
「ええと……その。何にせよ人が傷つくのは嫌ですし、放っておけませんから」
疑念に言葉を詰まらせながらも、エリザは正直に答える。その答えを聞いたローンハイムの表情は温和な笑みに転じ、首がゆっくり縦に振られる。
「うむ、ならよし。しかし気を付けるのじゃぞ。戦を好む者は、同じ言葉でおまえを戦場に送るはずじゃ」
「えっ? とすると……私を、騙すってことですか?」
師の言葉の意味がまだはっきりとは掴めず、問うエリザの声は不確かで弱い。それを察してか、ローンハイムはゆっくりした口調のまま応える。
「騙すかもしれんの。だが、頭からそう信じとる輩も居る」
戦で流血を防ぐには、相手を完膚無きまでに叩くしかない。お互いがそう考える状況では正しいだけに、譲れない者が多いのだという。
「怖い話ですね」
エリザは感慨深そうに呟き、問う。
「ということは、おいそれと『戦に加わる』なんて言わない方が良いということですか?」
「そうだの。とりあえず戦に出る意志は無いと伝えることにしよう」
ローンハイムは顎をさすりながら答えた。最初から持っている結論を押しつけられているような違和感を感じたエリザだったが、すぐに それでも構わないと思い直した。彼の言っている内容は自分の意志に沿っているし、寧ろ足元を掬われないように気を配っているのかもしれない。どのみち師なら悪いようにはしないだろう。彼女はやや戸惑いながらもゆっくりと頷く。
「あ、はい。お願いします」
それを受けて、ローンハイムは自信に満ちた笑みとともに頷き返した。エリザにとって師は掌に収まる小ささだが、その堂々とした態度は頼もしく写る。
「うむ、任せておれ。それより……」
だが、そこまで言ってローンハイムの表情が微妙に悪戯っぽく変わる。それはエリザが師の顔として最も印象に残っている表情だ。というのも、この表情を浮かべた師の口からは都合の悪い頼み事がいつも出ていたからである。
「主の術を、別の場所で もう少し見たいのじゃが」


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