総てを癒すもの

第1章 「邪教」(2)

作者:ゆんぞ 
更新:2003-04-25

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ごろんと仰向けになると陽光が眩しく、またそれでエリザは目を覚ました。
(まだ『中春月』のはずなんだけどなぁ……)
そんなことを思いながら上半身を起こし、辺りを見回す。随分と良い景色だった。遙か遠くの山々は白い頂から麓のなだらかな緑まで見え、その手前に森があり、草原となり、そして自分の足のつま先が……
「えっ?!」
唐突に、この光景が受け入れがたい何かを持っていることに彼女は気づいた。下方に視線を転じる。かなりの高さに居ながら、腕と胴はそれを超越し地面に付いている。右手で地面を撫でてみると、柔らかい地面の感触と同時に はるか下の掌が動いた。違和感は確信に変わりつつあったが、受け入れがたい状況に変わりはない。何をすれば良いのか、何をするべきなのかが全く解らない。頭の中は同じ疑問がぐるぐる回り、顔が徐々に熱くなる。

その時、ふと左膝の横にある黒いものが目に止まった。それが人であることはすぐ判ったので、エリザは左手で慎重に摘み上げて右掌に乗せ 細部が見えるよう顔に近づける。全身を鎧兜で覆っているが、大きさは彼女の小指よりやや太い程度で 紐のような細い腕がついている。
(こんなに……小さいなんて)
逆に考えればそれだけ自分自身が大きいということになる。だがしかし、これは彼女にとって好都合でもあった。治癒術師が普段使う術は 魔力を生命に与えて回復を促すものであり、重傷の治療には莫大な魔力を要する。だが今の大きさなら魔力も相応にあるはずで、おそらくは何人でも、幾らでも癒すことが出来る。
エリザは意を決し、魔力過剰による害を心配しながら鎧の男にできるだけ慎重に魔力を加えていく。それでもすぐに男の体がぴくぴくと動き始めた。

ふぅ、と安堵の息が思わず漏れる。
(この人を、さっき突き飛ばしたのよね……)
とすると、他にも怪我して倒れていた人が居たはずだ。改めて辺りを見回すと、腰の左横に 暗褐色の甲冑を着た男が倒れており、三尺ほど向こうにも何人か居る。傍の男を拾って右掌に移し、左手を突いて立ち上がる。体重が掛かると足元の地面は思いのほか沈むが、エリザはあえて無視することにした。


半ば戻っていたグランゼルの意識は、急激な上昇に伴う違和感で醒めた。上昇が止まると少しだけ体が浮き、そしてすぐ鎧の重みが戻る。上体を起こして面頬を上げ辺りを見回す。かなり遠くまで見渡せるが、前方は大きなタペストリーらしきものに遮られている。

とそのとき、いきなり地面が後ろに動き、彼の上半身を前に押した。何事かと思う間もなく重い音が下から響き、さらに今度は地面が前に動いたので彼は仰向けに倒されてしまう。そのとき上を向かされたグランゼルと下を見ていたエリザの視線が合った。目が合ったのを感じ取ったのか、彼女は軽く微笑む。その表情は紛れもなく彼の知る治癒術師のものだが、視界一杯に映っているのに妙に遠く見え、手をかざしても腕を伸ばしても空を切る。

そんなグランゼルの動作を、エリザは『小人が私に向かって手を振っている』と解釈していた。よく見えるよう掌を近づけ、話しかける。
「あの……何か」
言いかけたところで、掌上の男は突然 両耳を抑えて身を強張らせる。彼女にとっては意外な反応であり、声が大きすぎたからと気づくまでには一呼吸分の時間を要した。

必死で状況を判断しようとしていたグランゼルにとって、予期せぬ大声量はまさに不意打ちだった。なんとか持ち直した彼が改めて周囲を見渡すと、エリザの肩から伸びる腕が自分の足元まで届いていることに気づく。彼女の掌上に立っているという状況、そしてそれが意味する真実を理解するには やはり幾許かの時間を要した。

エリザは左手で自分の口を覆い、そして再び視線が合うのを待ってから遠慮がちに尋ねる。
「あの……大丈夫、ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
グランゼルにも、この非現実的な状況は ほぼ飲み込めていた。少し頭の中を整理し、そして問いかける。
「しかし、お前のほうこそ……さっきは司祭に操られれてたようだったし、今はこの大きさだろう。さらわれてからいったい何があったんだ?」
「さらわれた?」
瞬きを二三、エリザの視線がグランゼルを離れさまよう。普通なら憶えてないはずはないのだが、どうもその辺の記憶がぼやけているらしい。
「そうだ。四日前に光の教団がお前を拉致してから、こっちは必死で探してたんだぞ」
グランゼルがそう付け加えると、さまよっていたエリザの視線が再び彼の元に戻った。この人は自分を助けようとしている。小さい上に鎧兜もあるので顔はよくわからないけど、この人の声を聞いたことがある。そして隣にいる暗褐色の鎧、この男はさっき自分が癒そうとした人だ。たしかそれを命じた司祭は太陽をあしらった刺繍の法衣を着ていて、自分もまた同じ服を来ている。この柄、別の場所で見たような……
「あ~!」
いきなりの大音響がグランゼルの体をビリビリと揺さぶる。エリザが左手で口を塞いでいたため、そして息を吸い込む動作を見てグランゼルが咄嗟に耳を塞いだため辛うじて意識を繋げることはできたが、真っ白になった感覚のなか残響に似た耳鳴りだけが残る。
「ご、ごめんなさい。グランゼル様」
思考すらまともに働いていないグランゼルには、その言葉は届いていなかった。


グランゼルを落とさないように注意を払いながらエリザはゆっくりとその場に座り、左親指と人差し指で横たわっている戦士を次々につまみ上げて右掌に乗せてゆく。鎧込みで二十貫(七十五キロ)はあるはずの戦士を麦穂のように軽々とつまみ上げるその動作をグランゼルは何も言えずに見ていたが、四人目に積み上げられた男を見て 手を振り声を上げ制止する。
「?……なにか?」
エリザが手を止め視線をグランゼルに向けると、彼は隣の魔法戦士を指差しながら問う。
「もしかして、こいつ等も助けるのか?」
「ええ、もちろん」
即座に答える。
「光の教団の人間だぞ?」
エリザはやや戸惑っているような表情を見せながらも、ゆっくりと肯く。
「でも、今の私なら助けられるんですよ? それを見殺しになんて……」
小さく首を横に振るエリザに、グランゼルは小さく項垂れる。優しいとか律義とかいうより、泥棒に追い銭をよこす愚に近い話だ。しかし、この若い治癒術師が普段から自身の力不足を悔やんでいたことを知っているので、余り強く言う気にもなれない。
「わかった。しかし……」
彼らをどう押さえておくか、特に魔術師をどうするかが問題だ。そのことを伝えると、エリザはしばし考えた後 おもむろに左手の指で自分の黒髪をとき、抜けた数本の毛髪を右掌に垂らした。
「傭兵さんはこれで縛れませんか?」
グランゼルは髪の毛を拾いあげてみる。やや太い紐くらいあり、左右の腕に絡めて思いきり引いてみても切れる様子はない。
「ん、大丈夫そうだ」
それを聞いてエリザの表情が少し明るくなる。
「じゃあ、魔術師さんは、それに目隠しをすれば……」
「うむ」
グランゼルは腕を組み、考える。
魔術の行使には精神の集中と対象の知覚が欠かせないため、魔術師を更迭する際には それを封じる手段――具体的には ある程度の負傷・食事を抜いての禁固・目隠しその他――が用いられる。
「そうだな、加えて腕の一本でも折れば良いのだが」
エリザの眉が少し内に寄る。
「そこまでしないと、駄目ですか?」
「うむ」
頷き答える。腕を組んだまま譲らないグランゼルと、困惑した表情を浮かべ彼と魔法戦士とを交互に視るエリザ。

しばらく続いた沈黙の後、エリザが遠慮がちに口を開いた。
「解りました。じゃあ、とりあえず……」
右掌をそっと降ろす。

しかし、グランゼルにとってはたまったものではない。浮くような感覚と共に彼の地面が傾き、手を張って耐えるも 着地に伴う衝撃によって彼は二回転ほど後ろに転がる。
「だっ、大丈夫ですか?」
エリザのうわずった声が上方から届く。柔らかい掌の上だったため、体の節々を少し痛めただけで済んでいる。多少よろけながらも立ち上がり、手を振って応えた。エリザはほっと息を漏らし、そして真剣な面持ちで彼に焦点を合わせる。すると、グランゼルの体内を何やら熱いものが一瞬だけ駆け巡った。それだけなのに痛みは失せ、体中に力がみなぎっている。

術を終えたエリザは グランゼルに掌から降りてもらい、問うた。
「誰が味方なのか教えて頂けますか?」
その意味の解らないグランゼルが怪訝な表情を向けると、彼女は少し照れたような笑みを浮かべて言葉を継いだ。
「いや、あの……皆さん小さすぎて判らないんです」
それを聞いて思わず吹き出してしまう。根本的に勘違いしていると彼は思ったが、言葉としては出さないことにした。


グランゼルの指示に従って倒れている兵士を拾い集め、三~四人ごとに回復術を掛ける。端から見ると離れ業のようだが、術を行使しているエリザ自身にとっては魔力を絞る必要がないため寧ろ楽な作業だ。回復して起きあがった兵士たちは彼女の姿を見て呆然としてはいたが、恐怖に駆られた行動をとる者はいなかった。数少ない治癒術師の一人として広く親しまれていたからである。

全員が動けるようになったのを確認すると、エリザは極力水平を保つように掌を降ろす。そして彼らが降りるのを待ってから再び自らの髪をとき、抜けた毛髪を彼らの上に落として、言った。
「これで、倒れている人たちを縛って下さい」
それだけ言われても、状況も掴めていない――辛うじて自分達が縮められたわけではないと解った程度の――兵達には理解しようもない。ぽかんとしている彼らにグランゼルが説明を加える。
「そうやって今倒れている敵さん達を護送するらしい」
それでもなお、理解するのに早い者で数瞬を要した。意味を解した者の一人、長弓を携えたイーゼムという名の若者がエリザの方を見上げ、陽気な声で言う。
「敵も助けるのか。まったくおまえらしい!」
少し照れくさそうに笑いながら、「すみません」とエリザが返す。その巨躯に似合わぬ普段通りの仕草に、彼らの内に残っていた恐怖や疑念も霧散する。言った後でしまったと思っていたイーゼムも、表情には出さないようにしたものの内心ほっとしていた。

兵達は髪を適当な長さに切って数本単位で束ね、倒れている戦士や弓兵の手足を縛る。縛られた兵士達を拾いあげようとして、ふとエリザは思いとどまった。

司祭が、いない。

顔を上げ見回してみるが、やはり見つからない。彼女は立ち上がってより広い範囲を見回したが、いない。振り向き、そして反転する。翻る巨躯が風を生み、見張り塔ほどもあるブーツが地響きをたてて踊る。周囲の兵達が思わず一 二歩引いてしまう程の威圧感だが、エリザは足下に気を払っていない。

天蓋の前、最初彼女が居た辺りに紅い染みが二つ付いているのが気になった。小さい方は魔法戦士が出血した跡だろうか。もう片方はそれより大きくて丸く、そしてよく視ると布のような物が張り付いていないか。
「!!」
はっと短く息を吸う。染みに近づき、しゃがんで観察する。血に染まった布には それでもなお太陽をかたどった刺繍が見て取れる。不意に右肩甲の辺りがべたつくように思った。触ってみるとやはり粘っこい感触があり、目前に戻した左手には暗紅色の糊のようなものが付いている。

もう明らかだ、拒絶することもできない。
(殺した……私が?)
体の各所から汗が滲み出し、体は小刻みに震えている。左掌を見る視線も虚ろで、思考が空回りしていることは誰の目にも明らかだ。
「そんな……」
少しの間を置いてようやく出た言葉がそれだった。

震えもやや収まり、虚ろだった視線は元司祭だった染みを再び捕らえ始める。起きあがる直前に寝返りをうったとき潰したのだろう、放射状に広がった暗紅色の染みが惨劇を物語っている。

そっと法衣を拾い上げてみる。中には殆ど肉が入っておらず、元司祭だったことはその法衣を以て予想するしかない。
(こんなの、どうすれば……)
ほぼ直感的に、無理だと確信していた。しかし下から見ていた連中にはそれが解らない。イーゼムがエリザの視界内にとことこと入り、急かすように言う。
「どうした? 治療しないのかい?」
混乱しているところへ浴びせられたその言葉に、エリザの感情が瞬間的に沸き立つ。
「それが出来ないからっ!」
悲鳴に近い声。落雷のような音圧をまともに受け、彼は後方にばたりと倒れた。白目をむき、右耳から血を流している。
「ご、ごめんなさい……」
エリザは慌てて彼の体を拾い上げようとするが、摘むときに力加減を間違えてしまった。ぼきっという音が鳴り、肋の折れる微かな感触が指に伝わる。

強ばったように目を固く閉じながら、ようやく彼女は自分の巨体が持つ意味を理解し始めていた。この大きさだとちょっとした不注意がたやすく彼らの命を奪う。しゃべるときも、歩くときも、掬うときも、どんな時でも細心の注意を払わなければならない。

まずは、掌の上に横たわり血を吐いているイーゼムに注視する。一度深く呼吸して はやる気持ちを抑え、慎重に魔力を加える。
ほどなく彼は目を覚ました。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
エリザが問うとイーゼムは起きあがり、苦しそうにだが手を振って応える。そしてすかさず 同じ掌上の赤い法衣を指さして「これか?」と問う。

エリザは無言で頷き、彼の乗っている掌を慎重に地面までおろす。イーゼムは降りようと二三歩進んだところで立ち止まって振り返り、上を向いて
「まぁ、頑張れ」
と少しぶっきらぼうな口調で言った。
「ええ。なんとかやってみます」
エリザは静かにそう答え、イーゼムが掌から降りるのを確認してから掌を再び眼前まで持ち上げた。

死人を生き返らせる蘇生術は『術にして奇跡』と言われ、今でこそ葬儀の一環と位置付けられているが、原理的には可能だと聞いた覚えがある。たしか高度な『変幻術』で身体そのものを作り、そこに生命の息吹を吹き込みながら 本人の霊を呼び寄せて体に封じ込めるという手順だったか。それら一つ一つが高度な術であるのは勿論だが、秘められた部分も多く、成功例も殆ど無いらしい。ましてや駆け出しの彼女にとっては余りにも荷の重い術である。

しかし、とエリザは思いとどまった。今自分が持っているであろう膨大な魔力なら何とか出来るかもしれない。なにより、このまま諦めるということだけはしたくない。

彼女は目を閉じ、元々の司祭の背格好を思い起こし始めた。


おまけ

(*)文中の中春月は五月を想定しています。


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