雲に触れるもの(2)

優しいギガ娘萌え~という趣旨の HIKどんの言葉に感動し、「総てを癒すもの」の外伝として寄稿した内容です。

作者の趣味により尺貫法を採用しています。一丈は3m、一分は3mm。

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一心地ついたので、エリザは五人を町に戻す。とは言っても住民が指の大きさに恐れをなすため、広場に降ろすことはできない。門まで運ぼうとするが、これも大きさの差ゆえ正確な位置に持って行くのは困難だ。何度かの試行錯誤のすえ、結局は彼等を広場の上に配してから街を持ち上げることで無事に届けることが出来た。

次に何をしようか。
そう思って自分の周囲をぐるっと見回したエリザだが、まず最初に解決しなければならない問題――足の踏み場がどこにも無く、一歩たりとも歩けないことに気づく。なにせ身長だけで数千倍あり、体重はその三乗。一度足を降ろせばそこにある全ては潰され、圧縮され、数丈に渡って沈められるはずだ。

想像するだけで身震いするような破壊力だが、幸い打開案もある。街を支えた雲だ。
(ええと、今から私も雲に乗ってみます。ですから少し離れて頂きますね)
そう伝えてからエリザは街を脇に寄せ、腰周りの雲に上から両掌を突いて少しずつ体重を掛けてみる。雲はある程度まで沈むものの、そこから先は強固に彼女の掌と重みを受け止めている。次に彼女は、体が乗るあたりの雲を上から押して確認する。所々に厚みが足りず突き抜けてしまう箇所もあるようだが、吐息で雲を作り 補ってやれば充分な強度を得ることができた。

どうやら雲に乗ることは出来そうだが、どうやって乗るかが少し難しい。四尺の段差を登るだけとはいっても失敗は絶対に許されないし、地面を蹴ることもできない。そんなことをすれば大地震になってしまうからだ。またスカートを穿いているため、脚を高く上げるわけにもいかない。彼女の姿は数里先からでも見えているはずだから。

しばし考えた挙句、エリザは腰周りの雲を胸の高さまで補強し、さらに足掛かりとなる雲を高さニ尺ほどに据える。次に体重の一部を腕で支えながら左足を乗せてみると、やや不安定ながらもどうにか持ちこたえた。エリザは右足も乗せ、踏台の雲が沈みきる前に一気に腕を伸ばして体を浮かせる。そして再び腕で体を支えて膝を片方ずつ雲棚の上にねじ込み、両腕の力を少しずつ抜いていく。

両腕の支持が無くなっても、依然として雲棚はエリザの途方も無い重量を完全に支えている。つまりこれで何かを踏み潰す心配無しに動き回ることが出来るし、立ち続けの姿勢からも開放された。作戦の成功に、思わず安堵の笑みが浮かぶ。

エリザはスカートを引き上げつつ膝立ちで数歩前に進み、両手を着いてからゆっくりとうつ伏せに寝そべった。雲の寝床は少しひんやりとして柔らかく、寝床としても申し分ない。じっとしているうちに微睡んでしまいそうになるが、ここで寝て日が暮れたら大変だ。軽く全身を伸ばすに留め、横臥の体勢で上半身を起こす。

視線をさまよわせること暫し、エリザは深い雲に半ば埋まって浮かぶ街を見つけた。脇へと寄せていた街は爪先の二尺ほど右にあり、身を起こし手を伸ばしても届かない。そこでエリザは横臥したまま腰を軸に体を回し、上下半身の位置を入れ替える。これでリューベックの街は眼前となり、組んだ両手の上に顎を乗せれば市壁が視線とほぼ同じ高さになる。上から見ると建物の小ささばかりが目立つこの街も、横から見ると荒々しい土台と雲の対比が幻想的かつ雄大な存在感を漂わせている。

どうやら角度によって見え方が変わるようだ。ならば雲から降りた連中にはどう見えていたのだろうか。
思い立ったエリザは、顎を雲に沈めて下から街を見上げてみる。こうなると土台部分しか見えず、まるで街が自分の上に落ちてくるかのような錯覚さえ覚える。まして飛び降りた連中にとっては直径五町(五百メートル)もの巨大な岩塊だったわけで、相当な圧迫感があったのではなかろうか。

そんなことを考えつつ街の縁を見ていると、その一端が僅かに膨らみ、
(お前、何やってんだ?)
と、イーゼムから声が飛ぶ。どうやら市壁から乗り出して自分を見下ろしているらしい。いや、よく見れば彼だけでなく警備兵と思しき男も二~三人ほど見ているようだ。
(あ、えーと)
決まり悪そうにエリザは応える。自分の行動が逐一見られている、というより嫌でも彼等の目に入るという事実を忘れていた。
(横とか下から見ると、結構迫力があるんですよ。あなたもこの位置から見ていましたよね?)
(んー? まあ確かにそうなんだが……)
台詞を一旦区切り、多少の間を置いて彼は やや遠慮がちに言葉を継ぐ。
(お前が迫力あるって言っても、なあ)
迷いのある口調だが、なかなかに痛いところを突く。確かにこの雄大な街を両手で掬い上げ、胸に抱き締めたのはエリザ自身だが。
(そこまで迫力ありますか?)
(ああ。まあ、な)
軽く眉を顰めつつ問うと、イーゼムは明らかに言葉を濁してしまった。

彼には珍しい、はっきりとしない語調がエリザの不安を掻き立てる。口に出せないほどの何かがあるのだろうか。さっきまで普通に応対しつつも、心の底では絶えず恐怖を感じていたのだろうか。
(あ、あの……)
視線の圧力を押さえるため、あえて少し目を逸らしつつ尋ねる。
(そんなに、言えないようなことが ありますか?)
(いや、そうじゃないんだ)
即答だった。
(言えないというか、うまく言い表すのが難しいんだよ)

イーゼムの説明によれば、エリザの体躯は余りにも大きすぎるので、人というより背景の一部に近い感覚――もっと言えば山脈を見るような感じらしい。しかもその『山脈』が一つの意志で動くばかりか、自分のことを注意深く気遣ってくれたり 何でもない言葉や挙動で一喜一憂したりというのが何とも不思議なのだという。
(うーん、そこまで凄いんですか)
大きいだけでなく不思議とまで言われてしまい、聞いているエリザも ただ唸るのみ。イーゼムの言わんとするところは何となく想像できるものの、元々の言葉が比喩的なこともあって実感が沸かない。実際にどう見え、どんな感想を抱くのか。
(見てみたいなあ……)
項垂れ、溜息ひとつ。確認できない、しかもそれは彼女ただ一人と解っているだけに 渇望は却って強くなる。

(じゃあ、アレだ。ちょっと見てみるか?)
(えっ?!)
突然降って沸いた提案に、エリザの首が跳ね上がる。
(いや、だから。見てるものを貸し借り出来るとか、そんなことを爺さん言ってただろ)
(ああ、そういえば)
イーゼムの話を聞いて、エリザも師匠から聞いた話を思い出す。心話を応用すれば五感の受け渡しも出来るという話だ。心話より難易度が高い上に使いどころがないと聞いていたのだが、まさかこの場面で使えるとは。


イーゼムの位置を肉眼で確認し、目を閉じて命の灯を確認する。エリザはその灯に意識を集中させつつ言霊を紡ぎ始める。

見えざるもの、漂うもの、薄き御身にて総てを満たすもの
いまこそ我彼の間を汝ら介し
我らの意を繋ぎ給え
彼の者の視界を我に伝え給え

闇に閉ざされた瞼の裏に、全く別の景色が浮かび始める。とはいっても霧が掛かったように暗くて彩度も低く、おまけに視野も狭いのだが、それでも正面やや下方に 青くて丸い台地のようなものが見える。これはリューベックの街だろうか。それにしては色が変だし、まずイーゼムの視点から街の俯瞰が見える理由がわからない。

ということは術の失敗だろうか。エリザは軽く首を傾げる。

そのとき、突如として台地も左に傾く。街としては有りえない傾きが、しかも彼女の動きと同時に起こったという事実。
(もしかして、これって……)
悪い推測を抱きつつ、エリザは慎重に首を上げてみる。すると台地は急激に上昇し、そして台地の縁に描かれた巨大な正十字が視界に入ってくる。距離感が掴めないため大きさは判らないが、見えている範囲一杯に広がる正十字というのは異様だ。
(やっぱり、帽子だったんですね)
思った通り、だが何とも言えない答えにエリザは突っ伏してしまった。

その動きで視界を遮る帽子が消え、代わって うつ伏せになった全身が現れた。つややかな黒髪と青いスカートが長大な稜線を描き、先端の長靴などは霞んで小さく見える。試しに左膝を曲げてみると 持ち上がった臑は瞬く間に高く聳える塔となり、足を戻せば即座に消失する。
(本当に大きいんですね、わたし)
閉じていた目を開き、溜息交じりにエリザは言う。確かにこれでは山脈とかなんとか、そういう曖昧な表現になるのも道理だ。
(ん。まあな)
(怖くはありませんか?)
(いや、特に)
今度は単刀直入に問うも、返って来たのは簡潔な否定。あまりのそっけなさに間が空いてしまい、それを遮るようにイーゼムが言葉を足す。
(まあ、いきなり手とか持って来られた時は少し厳しかったけどな……)
少し語尾を濁し、咳払いと深呼吸を挟んで
(でもなんというか、優しいから大丈夫だ。それに、そんな馬鹿でかい図体で寂しがってたりしたら放っとけないだろ)
一息で言い切る。捲くし立てられて しばし黙ったままのエリザだったが、内容を理解するにつれて彼女の表情にはさまざまな感情が浮かびあがる。突然出た『優しい』という言葉への驚き、彼女からは点にしか見えない小さな相棒に心配される可笑しさ、そして大きさの差にも関わらず支え合えているという喜び。
(ありがとう)
満面の笑みを浮かべてエリザは言った。


(さて)
俯せのままエリザは肘をついて頭を上げ、街を俯瞰する。少し間を置いき、彼女は改めて住民に問う。
(何か、して欲しいこととか ありますか?)
暫く待ってみるが、街から上がるのは悩む声ばかりで明瞭な返事は無い。しかし、今のエリザは特にそれを問題とは感じなかった。突然尋ねたこともあるし、これだけ大きさが違えば手助けする姿を想像しにくいのは当然だ。なにしろ彼女自身が良い案を持っていないのだから。

煤けた屋根の掃除……は無理だ。指先だけで十軒くらい簡単に押し潰してしまうから。道や市壁の補強……も不可能だ。隣の家までは爪の厚みぐらいしかなく、指をねじ込めば やはり押し潰してしまう。つまり建物相手という考え自体に無理があるということになる。
となると今までのように街を抱き締めて治療するか、どこかへ人や物を運んであげるか、もしくは更に規模の大きな……大運河の建設とか山脈の形を変えるとか、島の形を変えるくらいの工事になるのだろうか。
(私も考えてみたんですが、なかなか思いつかないんです。だから何でも言ってくださいね)
軽く首を振り、少しだけ困惑の交じった微笑みを浮かべる。そこに以前のような悲壮感はなく、住民からは前向き後向きを問わず好き勝手な言葉が届き始めた。

昼飯のため近隣の集落に帰るという農民、
ラファイセットまで行く予定の商人、
とりあえず街を傾けないで欲しいと訴える主婦や職人、
雲上で昼寝したいという怠惰な者、
山の向こうや違う街に言ってみたいという物好き、 海の果てを見てみたいと主張する好奇心旺盛な者……

あまりに要望がばらばらなので、エリザは思わず笑い出してしまった。
(ちょっと待ってください。私の身は一つなんですよ?)
いかにも困ったと言わんばかりの台詞だが、彼女の表情はどうみても嬉しそうだ。


結局リューベックの街は元の場所へ戻し、移動の予定がある者や他の土地に興味がある者達を連れて行くことにした。彼らと共に多くの街や村を巡れば、土地に応じた助力も出来るだろう。
(じゃあ、街の外に出てみたい人は、中央広場に集まってくださいね)
そう言ってエリザは近くの雲をひとかけら取り、町の人に見せる。
(集まり次第、この雲で皆さんを持ち上げます)
説明を加えて微笑む。一挙一動が彼等にとっては天変地異なのだから、細かい配慮と説明が肝要だ。

早速、彼女の声に呼応するように街中の点が動き始めた。幾つかは広場に向かい、多くは広場から出る方向に。エリザにとってその歩みは蝸牛よりも遅いが、彼等の大きさを考えれば仕方の無いことである。むしろ広場から出ようとする連中は相当に急いでいるようで、そこが気に掛かる。
(あまり急がないで下さいね。走らなくても大丈夫ですよ。ゆっくり待ちますから)
エリザはやんわりと促す。そして更に広場をよく見てみると、広場内に出た店の回りでも人が忙しく立ち回っている。
どうやら店を畳もうと焦っているようで、これは自分たちも攫(さら)われると思っての行動だろうか。
(えーと。広場で店を畳んでいる皆さん、いいですか?)
彼らの注意が向くまで待ってから、エリザは注意を加える。
(店を畳まなくても大丈夫ですよ。貴方達の店を連れ去ったりなんかしませんから)

幸いにも広場の混乱はすぐに収まったので、エリザはその外にも視線を転じてみる。
広場に向かう者は余り多くはなく、他に動いている者も少ない。街が地上に降りるのを待ちつつ彼女の方を伺っているのだろうか、視線が合うなり びくついたり物陰に隠れたりと慌ただしく動きだす。それも一人二人ではなく、一区画くらいの範囲に渡るほぼ全員がだ。
滑稽であると同時に、視線の力を思い知らされてしまう。
(ごめんなさい。あまりじろじろ見るものではありませんね)
少しだけ困ったような微笑でエリザは言う。ずっと俯せのままで疲れてもいるので、覗くのを止めて雲の上で休むことにした。
(しばらく向こうで休みます。遅くても怒ったりなんかしませんから、ゆっくり準備してくださいね)

反転して仰向けになると、雲の寝床が柔らかくて心地良い。見渡す限り雲と青空のみが延々と広がっており、そこに彼女の大きさを測る要素は皆無だ。風景の雄大さも前と変わることはなく、山脈に匹敵する巨躯であることなど忘れてしまいそうである。
もちろん横を向けば椀大の小さな街があり、顔を近づけないと点にしか見えない小さな住民達は自分の一挙一動に不安を感じているのだが、自分より大きなものも沢山あるのだ。青空はその限りない大きさをもって自分が未だ『ひと』であることを示し、雲はこの巨体を支えることで大地を傷つけることなく動けるよう助けてくれている。

そう思うことで、すっと気分が軽くなる。人に頼られ、雲に抱かれ、空に見守られて――これで大きすぎるとか孤独とか言うのは贅沢ではないか。
(ありがとう。皆さんのお陰で何とかやっていけそうです)
心の奥底から沸き上がるエリザの感謝に、心地よい陽光と微風が応えた。